2033年問題とキリスト教


     常気での中気は等間隔なので閏月はおよそ33ヶ月間隔(235/7)で訪れる。しかし、この方法は定気を置閏法にきめた時憲暦(日本では天保暦)で崩れた。定気での中気は等間隔ではないので235ヶ月で中気の無い月が7回以上発生する。日本では2033年問題で天保暦の破綻と報じられることもあるが、定気を使っては天保暦に規定される「中気が無い月を閏月とする」(『新法暦書 巻2』p.22/51)だけでは閏月は決まらない場合がある。

     時憲暦を編纂したのは宣教師アダム・シャール(湯若望)である。キリスト教の最重要行事である復活祭の日付(春分後の最初の満月の後の日曜日)の起点である春分の日が2,3日ずれてしまう常気による「中国古来の置閏法」を彼等の暦法に組み込むのは論外だったと考えられる。たとえば1582年のグレコリオ暦への改暦もずれていた春分を3月21日に戻すのが目的だった。そこで湯若望は定気での置閏法が不確かなのを見越して「200年暦」を造暦し奏進している。薮内清(1990)p.158を参照。また、2033年問題の解決策でもある「冬至のある11月から翌年の11月までに13ヵ月あり中気の無い月が2ヵ月ある場合最初の月を閏月とする規定」は時憲暦のひとつである『康熙甲子元法』(1726-1741実施) の暦書で明文化されている。『二十五史 11 清史稿上 時憲志4』p.9047参照。

     キリスト教を禁教としていた日本でも時憲暦に習い定気の置閏法を天保暦に採用した。しかし天保暦では『新法暦書続編』p.138-139をみると過去約70年の置閏の確認しかしておらず、その結果「要令分至各在基本月」とし常気の場合と同じく春分、夏至、秋分、冬至を2、5、8、11月におけば全ての場合で置閏ができると誤認している。天保暦施行(天保15年,1844年)からすぐの嘉永4年から5年(1851〜1852)にかけて11月閏か2月閏を選ぶ場面があったが、天保暦では「要令分至各在基本月」で遅い方の2月閏とした。

     この「要令分至各在基本月」のアルゴリズムでは暦プログラムで置閏ができないと指摘されているのが2033年問題である。原因は単純で「要令分至各在基本月」が定気の置閏法としては要件を満たしていない、すなわち定気の置閏法としては誤っているからである。このように天文方が西洋の宣教師天文家より置閏に関する考慮が足りなかったのが2033年問題の要因である。

     (「渋川春海の貞享暦の研究」数学史研究 (233号)p.1-46 注18より)

     
    追記1: 宣教師の暦の計算はニケア宗教会議(AD325)以来、復活祭の日付を決めることに目的があった。復活祭の日付は@太陽暦での春分の日付(3/21)A満月の周期B曜日の周期の3つで決まる。また平均周期で計算を行うため観測する必要もなかったため、1500年代には春分の日が10日もずれていた。したがって、宣教師の計算にはもともと閏月の概念はない。宣教師が採用した定気による置閏は閏月の間隔に数理的裏付けもなく、場当たり的な確認も必要である。これはすべて@の春分の日を3/21で固定し、太陽暦での復活祭の日付とずれが起きないようにしたため。
    (以上 2019/11/29UP)

    追記2: 「分至各在基本月」は置閏ルールのように見えるが、常気でのルール(中気が無い月は閏月)にしたがって置閏した場合必ずこうなるという「結果」にしか過ぎない。「分至各在基本月」はもともと置閏ルールではなく結果である。これを誤認して置閏ルールにしてしまったのが天文方。
     そもそも定気を置閏の基準にしたため「分至各在基本月」はくずれている。2033年の場合、秋分が9月となる。2032年の11月(冬至月)から2033年11月(冬至月)までの間に11ヶ月しかないので閏月に関係なく、「分至各在基本月」はくずれている。したがって「分至各在基本月」は定気の置閏ルールとして誤りである。月名も合わないので月の命名ルールでもない。結局、天保暦は定気による置閏のルールを決めていないというのが実情である。
    (2019/11/30追記)

    追記3: 冬至を11月に置くのは暦の基本中の基本。旧暦2033年問題についてで「冬至を優先するのは妥当な判断なのかもしれない.」と書いてあるが、これは「分至各在基本月」を「月の命名のルール」と誤解した解説(注)。天保暦で替えたのは常気による置閏を定気による置閏にしただけで、「月の命名のルール」はそのままである。天保暦書である「新法暦書」天保13年(1842)でも天正冬至から暦の計算を初めている。その年の暦の計算の始点は前年の11月の冬至。天保暦を含め唐代からの中国暦の「月の命名ルール」は前年の冬至のある月を11月とし、そこから順次命名し、中気が無い月が閏月となる。
     「要令分至各在基本月」を月の命名のルールと誤解してしまうと、暦の始点が4箇所(冬至、夏至、春分、秋分)あると認識し、優先順位が発生してしまい問題が混沌としてしまう。少なくとも唐代以降の中国暦では必ず冬至がある月を11月とするところから月の命名は始まる。2033年の場合中気の無い8月を閏月にすることは次の11月(冬至月)までの月数が不足するため暦法上できない。このような中国暦法の基本的な知識のない誤解にもとづく解釈が2033年問題をいたずらに混乱させた。

     例えば以下の来年(2020年)の暦の場合、今年の冬至のある月を11月として月を次々に命名していき、中気の無い月を閏月としているだけである。これで結果として「分至各在基本月」(春分、夏至、秋分、冬至が2、5、8、11月)となっているだけで、「分至各在基本月」はルールでなく「結果」である。2033年の場合「分至各在基本月」が結果として崩れているだけである。

    天保暦大小朔干支進退定朔平朔グレゴリオ暦中気節気
    11月 戊辰( 4)  4- 0.06  2019/11/27( 冬至)26日 (29-13.19)(大雪)11日 (14-19.18)
    12月丁酉(33) 33-14.13  2019/12/26(大寒)26日 (58-23.55)(小寒)12日 (44- 6.30)
    1月丁卯( 3)  3- 6.42  2020/ 1/25(雨水)26日 (28-13.57)(立春)11日 (13-18.03)
    2月丁酉(33) 33- 0.32  2020/ 2/24(春分)26日 (58-12.50)(啓蟄)11日 (43-11.57)
    3月丙寅( 2)  2-18.28  2020/ 3/24(穀雨)27日 (28-23.46)(清明)12日 (13-16.38)
    4月丙申(32) 32-11.26  2020/ 4/23(小満)28日 (59-22.49)(立夏)13日 (44- 9.51)
    4月丙寅( 2)  2- 2.39  2020/ 5/23 (芒種)14日 (15-13.58)
    5月乙未(31) 31-15.41  2020/ 6/21(夏至) 1日 (31- 6.44)(小暑)17日 (47- 0.14)
    6月乙丑( 1)  1- 2.33  2020/ 7/21(大暑) 2日 ( 2-17.37)(立秋)18日 (18-10.06)
    7月甲午(30) 30-11.42  2020/ 8/19(処暑) 5日 (34- 0.45)(白露)20日 (49-13.08)
    8月癸亥(59) 59-20.00  2020/ 9/17(秋分) 6日 ( 4-22.31)(寒露)22日 (20- 4.55)
    9月癸巳(29) 29- 4.31  2020/10/17(霜降) 7日 (35- 7.59)(立冬)22日 (50- 8.14)
    10月壬戌(58) 58-14.07  2020/11/15(小雪) 8日 ( 5- 5.40)(大雪)23日 (20- 1.10)
    11月壬辰(28) 28- 1.17  2020/12/15(冬至) 7日 (34-19.02)(小寒)22日 (49-12.23)
    12月辛酉(57) 57-14.00  2021/ 1/13(大寒) 8日 ( 4- 5.40)(立春)22日 (18-23.59)

    (注)平山清次『暦法及時法 増補版』恒星社(1938)pp.45-46。(『日本百科大辞典』より転載)を根拠とする。
    (2019/11/30追記, 2019/12/04月の命名法追記)

    追記4: 常気での置閏法は季節をできるだけずらさないための置閏法である「19年7閏法」をベースに閏月を等間隔に置く置閏法である。具体的には19年間の太陰月(19x365.2422/29.5304)=235ヶ月に7回等間隔で閏月が入るので、閏月の間隔は自動的に235/7=33.6ヶ月となる。(33 or 34ヶ月目)

     定気の場合このような規則性を数理的には実現できないが、閏月の候補が2つ出た場合は、常気の場合と同様に前回の閏月から33.6ヶ月に近い候補を閏月に選べばよいだけである。(天保暦に2つの候補から選ぶルールが無いのが2033年問題の本質。)しかし、定気で中気が無い月を閏月にしたばあい、必ずしも33 or 34ヶ月目に等間隔で置閏されている訳ではない。これは定気の不等間隔の中気を置閏に使ったための欠陥である。例えば2023年閏2月から次の2025年閏6月までは29ヶ月しかない。キリスト教宣教師は置閏をこの程度にしか見ていなかった。置閏法は時憲暦で退化したわけである。時憲暦やそれを真似た天保暦は中国暦の顔をした西洋暦(キリスト教暦)ということになる。

     2033年の場合、その前の閏月は2031年の閏3月である。この月から数えて閏11月候補の月は34ヶ月となる。次の候補は2ヶ月先なので36ヶ月目となり、当然閏11月が最適月となる。暦法の数理的に議論の余地はない。 念のために2033年閏11月から次の閏月2036年閏6月までの月数を見ると33ヶ月である。この場合、常気と同様の置閏ができていることが確認できる。

     天文方が「要令分至各在基本月」で1852年閏2月としてしまった、1851〜1852年の閏月について考えると、この前の閏月は1849年閏4月である。この月から数えて1852年閏2月は36ヶ月となる。別の候補は1851年閏12月でこの月までは33ヶ月である。したがって本当は1851年閏12月が正解であった。「要令分至各在基本月」として「1852年閏2月」とした天文方の判断は暦法の置閏の数理として誤りである。念のために1851年閏12月から次の閏月1854年閏7月までの月数を見ると34ヶ月である。天文方の選んだ1852年閏2月からだと31ヶ月となり置閏が最適でなくいびつになっていることが分かる。

     上記例は結果として上記『康熙甲子元法』(1726-1741実施)と同じく早い方の候補月が閏月となっているが、「早い方」も結果であり数理では無い。
    (2019/12/04追記)

    追記5:「要令分至各在基本月」が月の命名ルールで無い理由。
     『新法暦書続編』(二十四気 閏月附)p.139をみると、「要令分至各在基本月」のルールを使って2つある閏月候補(中気の無い月)の前か後ろかを選択しているだけで、月の命名のルールに使用している訳ではない。

     天文方にとっても2033年の8月のケースが問題になるとは思っていない。たとえば、上記1851〜1852年の場合も1851年10月にも中気が無い月があるが、この時も前年の冬至から当年の冬至までの月数が足りないので閏月にはできなかった。「要令分至各在基本月」が「月の命名のルール」との考えは現代(パソコンでの暦算時代)の誤った拡大解釈である。

    天保暦大小朔干支進退定朔平朔グレゴリオ暦中気節気
    11月己丑(25) 25- 969  1850/12/ 4(冬至)19日 (43-5281)(大雪) 4日 (28-7862)
    12月戊午(54) 54-8245  1851/ 1/ 2(大寒)19日 (12-9722)(小寒) 5日 (58-2428)
    1月戊子(24) 24-6285  1851/ 2/ 1(雨水)19日 (42-5841)(立春) 4日 (27-7399)
    2月戊午(54) 54-4288  1851/ 3/ 3(春分)19日 (12-5813)(啓蟄) 4日 (57-5218)
    3月戊子(24) 24-1494  1851/ 4/ 2(穀雨)20日 (43- 871)(清明) 4日 (27-7652)
    4月丁巳(53) 53-7531  1851/ 5/ 1(小満)22日 (14- 923)(立夏) 6日 (58-5302)
    5月丁亥(23) 23-2432  1851/ 5/31(夏至)23日 (45-4485)(芒種) 7日 (29-7368)
    6月丙辰(52) 52-6448  1851/ 6/29(大暑)25日 (16-9036)(小暑)10日 ( 1-1781)
    7月乙酉(21) 21-9891  1851/ 7/28(処暑)28日 (48-1755)(立秋)12日 (32-5761)
    8月乙卯(51) 51-3081  1851/ 8/27(秋分)29日 (19- 372)(白露)13日 ( 3-6659)
    9月甲申(20) 20-6358  1851/ 9/25(霜降)30日 (49-3807)(寒露)15日 (34-2740)
    10月甲寅(50) 50- 95  1851/10/25 (立冬)15日 ( 4-3628)
    11月癸未(19) 19-4651  1851/11/23(小雪) 1日 (19-2396)
    (冬至)30日 (48-7720)
    (大雪)16日 (34- 326)
    12月癸丑(49) 49- 258  1851/12/23 (小寒)15日 ( 3-4876)
    1月壬午(18) 18-6873  1852/ 1/21(大寒) 1日 (18-2147)
    (雨水)30日 (47-8255)
    (立春)15日 (32-9832)
    2月壬子(48) 48-4145  1852/ 2/20(春分)30日 (17-8224)(啓蟄)15日 ( 2-7647)
    2月壬午(18) 18-1564  1852/ 3/21 (清明)15日 (32-9988)
    3月辛亥(47) 47-8664  1852/ 4/19(穀雨) 2日 (48-3280)(立夏)17日 ( 3-7751)
    (2019/12/11追記)

    追記6: 常気よりも定気の節気の配置の方が科学的という誤った記述もみうけるが、これは暦法や天文学の歴史を知らない人の見解。そもそも中国暦での常気の節気は閏月を決めるために置かれている等間隔の定点である。節気の間隔が不規則な間隔になった場合、一定間隔での閏月の設定は保証されない。つまり科学的でない。これが2033年問題である。宣教師アダム・シャール(湯若望)が節気を定気にしたのは、ヨーロッパ、特にキリスト教の春分に合わせただけである。16世紀のヨーロッパでは科学が進んでいたからみたいな後付の解説もあるが、西洋ではローマの時代から天文学上での春分点を春分の日にしている。これは二ケア宗教会議で春分の日を3月21日にしたことでも分かる。西洋占星術でもわかるように、古代から春分点が天文学上での一年の始まりであり、16世紀に始まった話ではない、古代オリエントからの影響である。これに対し中国の暦法は冬至が重要で、冬至が始点になり春分は通過点でしかない。(2020/05/11追記)
     また、「常気よりも定気の節気の配置の方が科学的」という主張は、中国暦法でも暦法計算のなかでは定気が使われていることを知らないためとも思われる。地球は太陽の回りを楕円軌道で動いているために、円軌道である平均速度で太陽の位置を計算した場合、春分秋分では数度の違いが出てくる。したがって、中国暦法でも太陽と月が経合する時刻の計算は定気による速度変化が考慮されている。常気が使われているのは、置閏法のためである。中国では2000年を超える置閏を用いた太陰太陽暦の歴史があるが、宣教師が行ってきたキリスト教の祭祀の日を決める暦法計算にそれはなかった。宣教師が作った暦法は、中国暦法の顔を持った、西洋天文学にもとづいた、「西洋製の太陰太陽暦」である。それをまねした天保暦も同じである。2023年問題を天保暦や中国暦法の破綻と表現する人もいるが、実際には「西洋暦」の破綻なのである。「二つの中気の無い月の内、最初の月を閏月にする」というのも、数理的根拠の無い破綻した置閏法を用いている「西洋暦」の補正手段でしかない。(2023/06/02追記)