宣明暦法による日食予報の的中率について


     西暦862年に導入された宣明暦法による日食予報の計算及び日食記録との比較については広瀬秀雄/内田正男両氏の「宣明暦に関する研究」1)(以下「宣明暦研究」と略す。)がある。この中で内田氏は宣明暦法による日食予報の的中率について「日食の有無については、司暦の能力問題とは別に何等らかの選択が行われたことは、食予報の的中率の向上という点から疑い無い。計算通りなら4割5分に満たない的中率が、実際の暦には7割弱の的中率を示しているのだから。」と述べておられる。これは当時の暦算家が宣明暦法による日食計算の結果から夜食(夜の時間帯に起きる日食)だけを除いて予報として暦に載せたのではなく、それ以外に何かを取捨選択した上で暦に載せたことを意味する。ここでは彼等がいつ頃からどの様な方法で暦に載る日食予報の的中率の向上を図ることが出来たのかを推測する。

    日食の的中率の向上を示すためには、1)宣明暦法による日食計算結果、2)現代の計算法による計算結果、3)宣明暦時代の暦に書かれた日食の予報、を比較検討することが必要になるが、それぞれについて以下の様にして求めた。

      1)宣明暦法による日食計算結果 (表−1にその一部を示す。)
      「宣明暦研究」と同じく安藤有益著「長慶宣明暦算法」を基にプログラムを作成した。ただし次の点は「宣明暦研究」とは違う方法を選んだ。
        a) 計算結果の食分が負でも日食計算結果(表−1)のリストに残した。
        b) 気差定数の補正が気差定数より大きくなった場合は負にはせず0とした。
        (佐藤正次編「暦学史大全」2)に載る「永正十九年三月日蝕之口訣」による。)
         また宣明暦法全般の計算は内田氏著「日本暦日原典」3)を参考とした。

      2)現代の計算法による計算結果
        DE406ベースの日食計算ソフトEmapwin4)を使用し京都での局所状況を計算し表−1の「計算値」の欄に食分1.0を15.0に換算して記載。
      3)宣明暦時代の暦に載った日食の予報
       「宣明暦研究」と同じく天文記録の残る日食は暦に載ったものとみなし神田茂編「日本天文史料」5)の西暦862年より1599年までの日食記録を使用した。記録が残る日食は表−1の「記録」の欄に「有」と記載。ただし「続本朝通鑑」及び「続史愚抄」にしか記録がない日食は後世の推算と推測されるので除いた。

    表−1 宣明暦法による日食計算結果(一部) 

    注) 陰暦:月の黄緯が北の時に起きる日食。(地球の北半球を中心に影が落ちる)
       陽暦:月の黄緯が南の時に起きる日食。(地球の南半球を中心に影が落ちる)
       反転:陰暦⇒陽暦、陽暦⇒陰暦の反転。
       帯食:日食中に日出や日入になる日食。
       夜食:夜中の日食(夜の時間帯に起きる日食)
       食甚:時刻が24時を超える場合には日付は翌日。マイナスは前日。
     計算結果:Emapwinでの計算結果。晴天であれば京都で実際に見えた日食の
       食分:1.0を15.0に換算。

    (新版)宣明暦法による全ての日食計算結果(西暦862年から1685年迄)
      旧版では陰暦から陽暦へ反転したものや、陽暦から陰暦に反転した日食に計算ミスがあったので修正した。(2020/07/18改版)
    (旧版)宣明暦法による全ての日食計算結果(西暦862年から1685年迄)(2009/3/26 修正版掲載)

    宣明暦法による全ての月食計算結果(西暦862年から1685年迄,1.5Mbyte)(2007/ 9/23掲載)

     表-2は宣明暦法による日食計算結果と現代の計算法による計算結果の比較である。表の中で陰暦とは月の黄緯が北の時に起きる日食で地球の北半球を中心に影が落ちる。陽暦とは月の黄緯が南の時に起きる日食で地球の南半球を中心に影が落ちる。宣明暦の施行の期間(西暦862年から1684年迄)で宣明暦法では1731個の日食を予報するが、実際に起きた日食は325個でありそのままの的中率は約2割となる。しかし、日食の種別で見るとその的中率に大きな開きがあることが分かる。すなわち、陰暦の昼食及び帯食の的中率は5割以上であるがそれ以外は1割にも満たない。従って陰暦の夜食と陽暦の日食を予報からはずすと的中率は(212+64)/(267+129)=69.7%となり7割の的中率を容易に実現出来ることが分かる。またこの場合予報しなかった日食が実際に見える可能性が残るがその頻度は823年の間に(13+28+5+3)=49回、言い換えると平均17年に一回だけである。
     

     
     従って的中率向上の目的で夜食と伴に陽暦の日食予報を暦からはずしたことが予想される。そこでまず図−1に西暦862年から1599年迄の50年毎の陰暦陽暦別の日食記録数及び的中率を示す。これによると950年代以降は陽暦の記録が激減すると伴に陰暦も2/3へ減少し的中率が7割前後へ向上したことが分かる。
     

     
    陽暦の日食をいつ頃から暦からはずしたかをもう少し詳しく知るために西暦1009年迄の10年毎に、陰暦の昼食数(帯食を含む)、夜食数(陰暦及び陽暦)、陽暦の昼食数(帯食を含む)及び実際の京都での日食数を示したのが図−2である。
     

     これによると夜食、陽暦の日食伴に同じ西暦910年代から920年代にかけて記録数が減り始め940年代から50年代にかけて暦からほぼ除かれたことが分かる。これを裏付ける記録として、夜食に関しては919年2月の夜日食の時「西宮記」(日本天文史料)に「今以後、夜有日蝕時、不可廃務者」とある。又、陽暦に関しては、939年1月の陽暦の日食の時「本朝世紀」(日本天文史料)に「月在陽暦専無虧蝕」とあり、この時期に夜食及び陽暦の日食を暦からはずす機運が高まったことが想像される。なお斎藤国治著「古天文の道」6)にこの時のエピソードが述べられている。

     以上をまとめると平安時代の暦算家は、宣明暦導入当初には計算結果を全て予報として暦に載せていたが西暦920年頃から日食予報の改善に取り組み始め950年頃には当初2割だった予報の的中率を夜食と伴に陽暦の日食を暦に載せないことで7割前後まで改善していたことが推定される。


    参考文献:
    1) 広瀬秀雄/内田正男著「宣明暦に関する研究(1,2,3,4)」東京天文台報(1968,69,70,72)
    2) 佐藤正次編「暦学史大全」(1977),駿河台出版社
    3) 内田正男著「日本暦日原典」(第4版,1992),雄山閣出版
    4) 筆者作 日食ソフトEmapwin(http://www.kotenmon.com/cal/emapwin_jpn.htm)
    5) 神田茂編「日本天文史料(上)」(復刻版、1978),原書房
    6) 斎藤国治著「古天文の道」(1990)、原書房
    7) 安藤有益著「再考長慶宣明暦算法」(国会図書館蔵)

    (2007年5月16日記/2007年9月24日HPにUP。)
    (2009年3月26日 表−2、図−1、添付日蝕計算結果を修正)